年末、大晦日も間近に迫ったとある日のこと、多くの会社員が休みに入る中、サポートの仕事ということもあり、わりとギリギリまで仕事があったため、いつもより人が少ない電車に乗り、わーい年末だぜー人少ないぜーひゃっはー、などと空元気を出しつつとぼとぼと下を向いて会社に向かっていると、会社近くの川を渡る橋の上で ひとつのししとう が落ちているのを見つけた。
あーそうだよなー年末だよなー、みんな休みに入ってるだろうしまあししとうくらい落ちてるもんだよなーどと思うわけもなく、え?これししとうだよね?と一瞬足を緩めた。なんで落ちてんのこれ?と軽いパニックになりながら、いやちょっとまてと念のためよく見てみると、やはりそれは紛れもなく疑いようもなくどうしようもなくししとうだった。漢字で書くと獅子唐辛子、油と相性のいいあいつだ。そいつは何度か踏まれたのかかなりくたびれていて、どうやら瀕死に近い状態だった。
近くに飲食店もなく、食品納品業者が通るような道ではない。ではなぜここにししとうがおちているのか。これはきっと大変な意味、あるいは秘密があるに違いない。そう考えながら、しかし今日も普通に朝から仕事があり出社せねばならぬ身、断腸の思いで緩めた足をもとの速さに戻し会社へと向かった。(ここまでししとう発見から1.5秒くらい)
会社に向かいながら、しかしやはりそのししとうの出生と今後について考えていた。やはり年末の、ここであのししとうに出会ったのにはわけがあるはずだ。だって、なにせししとうである。ふつう落ちていないし、気づかない。今日はたまたま年末の出社で気持ちが下を向いていたため目線も下を向き見つけたものだ。なにか運命めいたものを感じる、そう思うと、会社についてからも、なんだかとてもものすごく気になってしまう。
そこで、昼休みに普段はいかないそちらの方向に行ってみたが、もうあのししとうはなくなっていた。掃除されたのか、何度も蹴飛ばされどこかへ吹っ飛んで行ったのかそれは分からないが、この年末のみなが休んでいる時期に踏まれたりけられたりしているししとうを思うと、なんだかいたたまれない気持ちになった。あのとき、あそこであのししとうをそっと道の脇にでも運んでやれば、もう助からないかもしれなかったけれど、あのししとうの未来はほんの少しだけ明るいものになったかもしれないのだ。ひょっとすると、その結果僕は会社に遅れしまうものの、そのおかげでエレベーターでいつもは見ないとても美しい女の子と一緒になり、そのエレベータという密室の中で突然話しかけられるのかもしれない。「あの、、、間違えていたらすすみません。ひょっとしてさっき、ししとう を救っていた方ではありませんか?」「え、いや、まあ、はい、そうですね」「ああ、やっぱり!わたしさっきちょうど見ていたんです!いったい何をしているのだろうと思っていたのですけど、気がついてとても感動しました。あのようなことをこの年末のさびしい時期に出来る方がまだこの世の中にいらっしゃるなんて思いませんでしたので」「はあ、まあ、これはどうも」「今度、是非お話がしたいのですがご都合いかがですか?そうだ、とりあえずLINEの連絡先をお教えしますね」なんていう未来が待っていたかもしれない。もちろんその女の子は資産家の娘で、二度ほど食事をしたあと、僕は彼女の家に招かれる。その女の子の庭と建物の大きさに圧倒されたあと、出張だったはずのその子の父親がかえってきてしまい急遽ご挨拶をする羽目になる。しかめっ面ながらも娘から話を聞いたその子の父親は、やはり年末の人の少ない寂しい時期にくたびれたししとうを救った男(つまり僕だ)の話に感銘を受け、「いまどき殊勝な心がけだ。うちの娘の嫁にふさわしい!ぜひとも娘をもらtt」「やだやめてよお父様(ぽっ)、わたしたちは知り合ったばかりだしこの方もお困りになってしまいます」「はあ、まあ、これはどうも」そしてあとは、女の子の幼馴染の男の嫉妬からくる妨害やその女の子の女友達が僕に好意を持つなどの甘酸っぱい紆余曲折を経て、めでたくハッピーエンドとなるのだろう。どうもありがとうししとう。最高だよししとう。
そんな感じで、転職後のばたばたではじまり、骨折とビリヤードとポケモンGoを経て、ししとうに思いを馳せた一年でした。
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